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ご多分に漏れず、エホ証をやめたあとの僕は、反動で「放蕩の下劣なよどみ」まで一気に走り降りてしまってました。ついこのあいだまで、その下劣なよどみにいたような・・・。
しかし、「エホ証をやめる」ということは、「エホ証の行動指針すべてに反対する」ということではないというあたりまえのことを、ようやく再認識しました。
エホ証が「やってはいけない」ということ、特に性の規制について、ことごとく反対のことをしてきましたが、「やっぱりやるべきじゃない」とあとから気づいたこともあるわけです。
「エホ証の教えだからやってはいけない」のではなく、「人としてやってはいけない」という当たり前のことなのです。たとえば、浮気。エホ証やめたあとは、本命の彼女をキープしつつ手当たり次第に浮気してました。エホ証の反動もあったはずです。
しかしあるとき、「ああ、浮気はいけないんだな、人としていけないんだな」と気づいたわけです。
いまではキリスト教的なことは信じてないけど、それでも聖書には、それなりに価値のある行動指針が収められてるんだな、というのはわかりました。
僕の性に対する考え方の変遷は、
1.エホ証の教えだから盲目的に信じる
2.エホ証の教えはすべて破るべきと盲目的に信じる
3.自分で判断して、人として正しい行いをしよう
こんなかんじで移ってきたわけです。ふつうの常識人は3からスタートしてるのに、僕はなんて遠回りをしてきたのでしょうw そのために自分や他人も傷つけたのです。
「若い時代」とか「若い人が尋ねる質問」の本で、二世は徹底的にエホ証の基準を教え込まれます。
しかし、教えにも守れるものと守れないものがあります。会衆では「マスターベーションは有害です」なんて注解する模範的な子供でしたが、どんなに努力してもこんな教えは守れるものではありません。
バプテスマを受けた時期も、完全にやめてはいませんでした。いや、努力はしたんですが・・・。「ちゃんと沈むかなあ」なんて人並みに心配しましたが、普通に沈みました。思えばこのとき、「沈む・沈まない」のうそが分かり、かなり醒めました。もっとも盛り上がるはずの献身の儀式が、僕の信仰を醒めさせることになったのは皮肉。
ちなみに「沈む・沈まない」の教理は、もちろん聖書に書いてあるわけでもなく、エホ証の出版物に書いてあるわけでもありません。でも一般信者に強く信じられてる迷信のひとつです。とくにオカルト的で、まさにエホ証の好きそうな話です。
あと、性教育について。母はやっぱり変わった人で、直接僕に性教育を施すのをためらっていました。かといって未信者の父に頼むこともできません。よって、むりやり会衆内の20代の兄弟に頼みましたw
彼は、若い時代の本の性教育に該当するところを「いっしょに研究しよう」みたいにむりやりもっていきました。で、僕に朗読しろと。
「・・・陰茎を産道に挿入します・・・」みたいな文章を朗読。その後、兄弟は必死に冷静に、「性交渉はどのように行いますか?」と質問。僕も必死に冷静を装いつつ、「・・・陰茎を産道に挿入します・・・」と答えました。気まずい研究でしたw
これは小学六年生の三学期。僕はすでに、学校の友達の持ってた明星別冊みたいなもので、この手の知識はたっぷりあったんですが・・・。知らないふりをするのもつかれました。
エホ証は貧乏自慢の好きな民族です。いかに切り詰めてるかが信仰の指標みたいなかんじでした。「物質主義を避ける」「信仰があれば養われる」「豊かな暮らしは楽園待ち」みたいな・・・。
「国際大会に行くために、それでも開拓を続けるために、今週はインスタントラーメンで暮らしました」みたいなのが模範的。しかしそのくせ、ちょっと経済的に余裕のある人にたかるのがくせになってる人も多かったような気がします。
必要の大きなところに出たけれど、ほんとに貧乏で仕事も見つからず、それでも「王国を第一」にしてたら、適当な仕事が見つかりました。神はけっして見捨てられません。みたいな経験がはげまされるものだと・・・。
母もそんな感じで、母子家庭なのに仕事もせず、開拓者になってしまいました。僕が高校を卒業するころにはわずかな蓄えも底をついていて、僕が仕事して母を養うことになりました。
まあ、エホ証やってたことで得た数少ない特技の一つに、経済的逆境に強くなった、というか貧乏に慣れてしまってなにも感じなくなった、というのがあります。
生活費を切り詰める訓練を積んでるので、わずかな給料でも貯金が溜まる溜まるw 同じ給料でも、それなりにリッチな家庭で育ったまわりの人たちとは感覚が大違いです。
家庭が崩壊していったのは、うちも典型的な80年代のエホ証のお母さんの道筋でした。僕が中学三年のときに父母が離婚。母と僕はアパートに引っ越し、転校しました。会衆も変わりました。
引っ越し前の会衆のローカルルールでは、二世は地元でいちばん偏差値の高い高校に入るのが標準とされていました。当然僕もそのつもりでいたんですが。
引っ越したあとの会衆では、二世男子は工業高校が標準。僕も自動的にそこへ。そこには、一クラスに4人も二世がいるという密度の高さでした。
僕は勉強のできる子供でした。中学校でも学年一番がデフォルトでした。工業高校に願書を出すときは、校長・担任・友達から「頭おかしくなったんちゃうか」「親がおかしいんちゃうか」みたいなことを言われました。
しかし、そこはすでに模範的な二世になった僕のこと、模範的な「証言」をして、まわりの人たちを納得させました。
かえってあのとき、ちゃんと証言することができなければ、あるいは親切な誰かがうちの異常さを追及してくれたのかもしれません・・・。
やっぱり、母はけっこう変わった人でした。かなり思い込みがはげしく、理想主義者で、どうも・・・。
多分あれは、僕が小学四年のころ。おもむろに改まった話をされました。で、母の口から出た言葉は、「エッチになっちゃだめよ」。
いまでもあれはなんだったのか、はっきりしたことは分かりませんが、キリスト教的禁欲主義への憧れ、今は幼く天使のように見える息子が大人になることなくきれいなままでいてほしい、みたいな理想から出た言葉だったと解釈しています。
実はこのとき、すでに僕は性に目覚めていましたw でもそんなことは口が裂けても母には言えません。母は感情の制御の下手な人で、ときに、僕のことを思うあまりにむちゃくちゃな教育をする人でした。だから、母には都合の良いところだけを見せるという二面性は、すでに小学生のころから養われていたのです。
あれは小学三年生のとき。マラソンが嫌いで、どうせ僕は遅いから手を抜いて走ったよ、みたいなことを母に言ったら、彼女ははげしく怒りだしました。首をかなりきつく絞められ、本気で死を意識しました。
エホ証に入信してから、母の感情は激しさを増したように思います。「懲らしめのむちを用いなさい」みたいな勧めを真に受け、懲らしめがまだまだ足りない、みたいな強迫観念を持ったのでしょう。そのころは、会衆内でも体罰全盛期でした。
きちんと冷静に叱ったり、ルールを決めてくれたらまだましだったんですが、「我が子をいらだたせることなく・・・」という教えは母には理解できなかったようです。とにかく感情を爆発させる、という懲らしめでした。
ベルトをむちにするのが会衆標準だったので、ベルトを手にするところまではよかったのですが、冷静にふるうことができません。ベルトの端をもってやたらと振り回して襲い掛かってくる、という異常さでした。
ベルトの金具のほうを振り回すので、たまったものではありません。血が出る生傷が耐えませんでした。
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